Last Day

ついに最終日を迎えてしまった。
特別な時間、特別な関係が終わり、1回目の旅が終ろうとしている。
顔を洗うために見た、日焼けした僕は満足と不満の表情だった。
この時間と空間は二度と戻らない。
それぞれが自立している6人。
その6人が合わさることで、何倍も楽しめた。
その関係性は、ここでまた解散する。
人間なんだから、悲しいにきまっている。
だからといって、馴れ合いはしたくない。
それでも、こういった人たちと居ることができる僕は僕自身を褒めたい。



今日という日を、最終章としてふさわしい1日にしようと握りこぶしを固く握った。
渋滞をすり抜け、ほぼラストランをワンピース号はした。
彼も僕らと別れたくないのか、ステップの階段が出なくなった。
ただの故障だろうけど、余計に愛しくなった。
ビーチに着き、まずはガムテープびりびりのワンピース号を洗車した。
そのあと、ビーチを1時間走った。
ランニングを終えると、ヒデキの友人たちが来てカットが開始。
それにつられて、外人も集まり今日も大盛況。



そして僕は、ビーチに座り自分と向き合ったあと、マッスルビーチで身体を絞った。
夜は枝豆にしょうが焼きという、僕のマストセット。
明日の朝にはワンピース号を返しに行き、イコール僕らの横断も完了する。
6人は、少しずつバラバラになる。また会う日まで。







憂鬱
明日から、またバックパックを背負うのが憂鬱。
バックパッカーに戻るモチベーションが、一切わかない。
だから日本に帰るのは正解だった。
スーツ着てピシっとして、できるかぎり多くの人に会って。
そして万全の状態で、アマゾン川に飛び込みたい。







カッコいいじゃん
今日もビーチを走ったが、昨日よりも身体は軽く喜んでいた。
そして今、10年前来た時と同じ場所に座り、海を見ている。
10年前はカセットテープ、少しビクビクしていて、華奢な体つきが恥ずかしいからTシャツは脱げなくて、朝昼晩マックで、リトルトーキョーから1時間シートの固いバスに揺られてここまで来ていた。
今はアイポッド、自然体で、華奢な体つきのままだが恥ずかしくはないから当然水着で、朝昼晩手作り料理を食いつき、自分の運転でここまできている。
こう書けば、当然のように今を楽しんでいることがわかる。



そりゃそうでしょ。
ワンピース号に戻れば、ふわふわのオムライスがあって、旅友がいて、心も身体も裸になれる。
誰もが頑張んなく楽しめて、無理もしていない。
そういえば、あのときはベニスビーチにいる黒人を怖いと思った。
今は肌の色でも、体格でも宗教でも人を判断することはない。
英語が話せない自分に、劣等感を持っていた。
今もあまり話せないが、話せないことは問題ではない。
話そうとしているか、伝えようとしているか、聞こうとしているかがポイントだ。
1人でいようが、何人でいようが、あまり関係ない。あまりにも関係ない。



相手が誰だろうが、相手が誰であっても、それは関係ない。
それよりも僕の僕との関係性。
自分を認める自分でいるのか?
今の僕は、僕から見てダサくないか。
しっかりやっているか。褒めてやれるか。
自分を認める自分でいるか。
人を認めるとか、人から認められるよりも前に。



10年後の僕は、どうなっているか?
新築の庭付き一戸建てとかじゃなくて、
今よりもカッコければいいや。
10年前より、バカでかいキャンピングカーを運転をできる今のほうがカッコいいでしょ。
カッコツケが、一番カッコ悪いことだと気付かなかった過去の僕に負けるはずない。
今は自分に素直になれるようになってきた。
等しく人を受け入れられる余裕も持てるようになった。
でも身体が膨らんだのは、認められないので減らすしかない。



あと僕にとっていらないものはなんだろう?
自分の評価よりも、他人の評価を先に気にしてしまうときがあること。
まだビビリだと思うときもある。
自分を見ず人を見ているときがある。
そんなデキの悪い自分でも、好きでいたい。
自分と一番近い距離にいて、神様が寝ているときも一緒にいる自分を好きでいたいし、
そんな自分から好かれていたい。
だからもっと前に進もう。