カモンキャニオン


はじめに
やったことに意味がある。結果は、誰も動かせない。
でもね、うまくいかないとクソ悔しくなります。
自信を失うことも多々あります。
それでも、やらないよりはましです。
やらないで、自信をキープしようとするより、全然ましです。
全力でぶつかって、砕ける。
そんな人を僕は美しいと思う。
全力じゃなかった、もっとできたはずと後になって思う。
そんなことはない。
前の自分も、目標に向かって生きていた。
生きていることに何ら変わりはない。
何も失っていない。
僕は結果主義者ではない。
甘ちゃん、大いにけっこうです。







こんにちは。ようやくロスに着きました!
ロスは10年ぶりです。あの頃は若かった。
ただウエストコーストラップに憧れて、ロスに来た。
あの時、朝昼晩ファーストフードでつなぎ、移動はイスの固い異臭のする人の多いバスか、ワルとはこういう人たちのことをいうのかと理解した黒人達に囲まれた地下鉄だった。
いつもビーチに行って、音楽を聴きながらノートにペンを走らせていた。
あの場所にもう一度行きたい。


あの時、この街を車で走ったら気持ちいいだろうなと羨ましい顔丸出しで、アメ車を追っかけていた。
その道路を明日、突っ切る。


あの時、この街には将来彼女を連れてこようと誓った。
それは次回までお預けだ。



というわけで、テンション高いです。
サンフランシスコには抜けず、ロスに留まるかもしれません。
やたらスヌープとかラジオでかかり、テンション高いです。
ですが、過去にさかのぼります。
昨日はキャニオン、一昨日はセドナと豪華このうえありません。






対策と傾向
ある程度、予測を立てておく。
多分こうなるだろう。
ゴールがどこだかを、わからずに走り続けるのはつらい。

こうなった場合には、こうする。
最悪のケースはこうなるだろう。
動きながら、次の策を立てる。
行き詰ったら、逆の角度から突いてみる。





セドナ
18日、午前休にした。
この1週間、毎朝早起きして移動移動移動。
体力的というか、精神的に疲れがたまっていたので、これじゃ意味がない。
この状態で、何かと向き合ってももったいない。
だから何時に起きてもいい日にしました。
結局、8時に目が覚めて走っていました。
お腹の肉が気になっているし、何よりも走りたい。
身体が外に開放されたがっている。
少し走るだけで疲れるのは、標高が高いからにしておきましょう。
そんなことで、朝起きてネットして飯食って出発です。
向かう先は、セドナ
磁場になっており、スピリチュアルやヒーリングで有名な場所です。
地球を切り裂く谷で、もう異次元に持ってかれました。
ただ残念なことに、それよりも教習所よりも厳しいS字カーブの連続のため、風景どころではありません。6人の命を守ることに必死でした。
しばらく絶景と絶壁を走ると、セドナの町に入りました。
土曜日なので混雑していて、とりあえずワンピース号をツアーバス専用駐車場に停めて、3人のシェフが作る親子丼を食べて、セドナの谷間を越えて帰りました。
正直に書きます。実は、これを書いているのは次の日の夜です。
グランドキャニオンを見てしまった後なので、セドナの素晴らしさが地球の外に吹き飛ばされてしまっております。思い出し次第、書きます。
でもね、セドナだってやばいですよ。
今、写真の整理をしていたらこんなに出てきました。


















優先順位
今ではないことは、今しない。
それが優先順位。




















会社員でいる意味
自分がいないと回らなくなってしまうようなシステムは、会社とはいえない。
ただの個人の集まりだ。最低でも社員が10日は連続で休める会社にしたいな。











スタンス
人と待ち合わせをする。
相手が遅れた時に怒るのではなく、空いた時間に何かをする。
何もしないから怒る。怒るなら、本を持ち歩くとか、スケジュールを調整するとか、そういった準備ができていない自分に怒るべきだ。






グランドキャニオン
19日、グランドキャニオンに踏み入ってしまいました。
まったくもって名前負けしていませんでした。
グランドキャニオンという言葉を書くだけで、なんだかブルーになってしまいそうです。
今回もノートを片手に一歩一歩近寄ってきました。




余興

遠くから見える、いっこうに近づかない壁。
道のわきにある緑の数が減っていく。
道路は、今まで通ってきた4,000キロの中でベストな舗装をされている。
人が集まるから、お金が集まるわけです。


壁の向こうには何かがあるのがわかってきた。
何があるのか見えないのだが、何かがあるのを感じる。


近づくにつれ、皆の口数が減る。
何かを待っている。
心の準備をしている、ぎこちない雰囲気。
ぎこちなさは、なんにせよ伝わる。
運転も数をこなしている人だと、しっくりくる。
人に慣れている人が喋ると、しっくりくる。
「女慣れしているよね」も、しっくりきているからなのか?僕には無縁だけど。。。
そう考えれば、どんな経験だって無駄ではない。
経験は人を優しくする。
経験とは失敗の繰り返しだ。
相手を理解するには、失敗の経験が不可欠だ。
話がずれたので戻します。





公園の手前にある、ビューポイントからの景色ですでにチビりそうになった。
僕の知らない地球が、ここにはある。
今まで見てきた、どの地球の顔にも当てはまらない。
人というちっぽけなスケールでは、この自然のスケールの前では何もできない。
ただ黙って見るしかない。


自分たちの足で踏み入れるのと、飛行機でベガスからヒュンと来るのは意味が違うだろうと思ったのは負け惜しみかもしれないけど、起承転結がない小説のようだ。この半砂漠を走る高揚感は、たまらない。
この一本道を走りながら、ペンを持つ手が汗ばむ僕は視界をノートに戻せない。あ、今戻した。
フロントガラスに全員顔を張りつけながら、この坂を越えた視界を準備する。

















ナショナルパークに入る。
距離感が掴めない。
裂け目と呼ぶには大きすぎて、この中にひとつの世界があるようだ。
川があるので、かろうじてここが地球であることは理解できるが、とにかくわからなすぎる。
どのパーツを見ても、僕が生きてきて知っているものは、ここにはない。


ここでは何もできない。諦めを感じる。
隣の外人は「クレイジー」と叫んでいる。
確かにこれを目の前にして、「クレイジー」と叫ばないほうがクレイジーだ。
均等に並んでいる雲だけが、僕の味方だ。
あまりにきれいな並び方には、若干の敵意を覚えるが、それでもここでは唯一、心のよりどころだ。
空とキャニオンとの境目から下の部分、つまりキャニオンの世界は怒りさえおぼえる。
見ることしかできず、思考が停止してどうしようもできないことに対する怒り。
人の創造力なんてたいしたことないなという、諦めに対する怒り。
いくらミクロで見ても、何一つわからせてくれないキャニオンに対する怒り。
そうやって自分の力量不足を、ほかのせいにしようとする自分への怒り。



今なら、なにも気にならないだろう。
何もかも忘れてしまう。
夢の中にいるように、なにも意識していない。
理解しようとすればするほど、わからなくなる。
















2つ目のポイントで髪を切ってもらった。
多分、グランドキャニオンで初めて髪を切ってもらった人になっただろう。
ハサミの音と、髪の毛が風に飛んでいく。
観光客の熱い視線を感じながら、そんなことはおかまいなしとでも歌うように、
髪の毛はリズムに乗って宙に舞っていく。
今までのなかで一番気持ちいいカットでした。












3つ目のポイントは、超高所恐怖症の僕には手ごわいものでした。
見ているだけで嫌になる、断崖絶壁。
僕は、自分の座るべき場所に座り、ただ遠くを眺めていた。
崖は地球の肌が露出しているようだった。
ああそうか、地球も1つの生命体なのか。
地球というバカデカイ生命。











4つ目のポイントで、他のクルー達もヒデキとナオちゃんにカットしてもらった。
その間、僕は離れた場所でひたすら自分と向き合った。
僕の隣で、見たことも聞いたこともない鳥が羽を休めている。
君はこの世界をどう思う?
僕の目と同じ高さに雲がある。
崖の裏側も雲があるとすれば、僕より下に雲がある。
このビューの前では、どんな素晴らしい都市計画をした町並みも無力だ。
少しだけ本気を出した地球。
無力のやってられなさに、飛び込んでしまいたくなる。
向きあえば向き合うほど、混乱しかない。
あるはずのもがなく、ないだろうと思っていたものがある。
見てはいけないものを見てしまっている気がする。
僕なんかが向かい合うには、100万年早いと言われているようだ。
きれいとか美しいとか感動のレベルではない。
どのレベルなのかが、わからない。
地球に突き放される僕。
次に来た時は、せめてここにある事実を受け入れられるようになりたい。
今あるのは偉大すぎる、自然への恐れ。













おわりに
1回目の旅が終ろうとしている。
少し膨らんだお腹以外に僕が得たもの。
それは自然に近づいたこと。
地球の子であることに気付いたこと。
人は自然の一部。
自然の一部である、僕らの命の美しさ。
人は人であるから出なく、命があるからこそ美しい。
きれいな顔もスタイルもあるが、なによりも命の輝き。
もちろん、肩書きでもお金でもない。



世の中の価値観と、僕のそれが違ってもかまわない。
僕は僕であり、世の中に合わせる必要はない。
人から後ろ指指されようが、僕の命は僕のものだ。
この素晴らしすぎる地球に生まれてきた命を、出し切りたい。
あと何年とかではなく、常に出し切っていたい。
常識やルールで自分を縛ったら、出し切れなくなってしまう。
ルールの中で出し切れるほど、僕は強くない。
自由にならないと、生きていないと失礼だ。
ここに転がっている、直径3センチの石ころにも失礼だ。
地球は、自然は僕に何も望んでいないだろう。
でも非礼はしたくない。
石ころなら石ころらしく、周りなんか気にせずジタバタする。
気にするなら、自分の命を気にする。




どんなに嫌なことがあっても、生きていればいいい。
どんなにダメ人間でも、生きていればいい。
どんなにエリートと呼ばれていようが、死んでいたら意味がない。
日本人として生まれてこようが、金持ちの子として生まれてこようが、
そんなのは地球を目の前にして何になる?
世の中の生命力溢れた不良に、グランドキャニオンを見せたらいいのに。
この地球で、主人公なんていない。
なんだか自分の写真を撮るのさえ、嫌になる。
しかも、ちょっと本気を出した地球と写真を撮るのは、身分をわきまえていないようで。
まだまだまだまだまだまだ、僕は弱いしちっぽけだ。
久し振りのストレス。
もっと自分をまっとうします。