時間というもの

NY特派員姉さんより
ニューヨークでがんばっている日本人ナースのブログをみていたら、ちょっと考えさせてくれる話が載っていたのでお伝えします。
これは彼女のオリジナルではなく引用だそうですが、私も引用の引用をさせていただきます。


素敵な話を贈ります。
次のような銀行があると考えてみましょう。
その銀行は、毎朝あなたの口座へ86400?を振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は、毎日0になります。
つまり、86400?の中で、あなたがその日に使いきらなかった金額は、すべて消されてしまいます。

あなただったらどうしますか?

もちろん毎日86400?全額引き出しますよね。
私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。

それは時間です。

毎朝、あなたに86400秒が与えられます。
毎晩、あなたがうまく使いきらなかった時間は消されてしまいます。
それは翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。

毎日あなたのために新しい口座が開かれます。
そして、毎晩その残りは燃やされてしまいます。
もしあなたが、その預金をすべて使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼる事はできません。

あなたは今日与えられた預金の中から「いま」を生きないといけません。

だから、与えられた時間に最大の投資をしましょう。

そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大のものを引き出しましょう。

時計の針は走り続けています。今日という日に最大限のものをつくりだしましょう。

一年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
一ヶ月の価値を理解するには、未熟児を生んだ母親に聞いてみるといいでしょう。
一週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
一時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
一分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
一秒の価値を理解するには、たったいま事故を避ける事ができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だからあなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。

そして、あなたはその時をだれか特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのにふさわしい人でしょうから。

そして、時はだれも待ってくれないということを覚えましょう。

昨日はもう過ぎ去ってしまいました。
明日はまだわからないのです。
今日は与えられるものです。

だから、英語で「いま」をプレゼント(present)と言います。



↓ここから、My opinion です。
みんな状況は違うかもしれませんが、「いま」の時間を貴重なプレゼントだと思って、大切にしていきたいですね。
もちろん、「いま」しか考えないという短絡的な人にならず、自分なりの計画、目標に基づいた「いま」の時間の使い方を考えていきたいものです。





RIOより→
「自分は今生きている」と自覚できるのは人間だけかもしれません。
ほとんどの動物は「生かされている」ような気がしてしまいます。
いや、人も生かされているのかもしれませんが、「生かされている」という思いも人にしかないでしょう。



別に生きているか生かされているかは、大きな問題ではありません。
どっちを選択してもいいわけですし、どっちも選択してもいいわけです。
選択するのは自分以外にはないわけですし、選択しないのも選択です。



ただ、どんなことも「生きているからこそ」できるわけです。
だから生に執着するがあまり、いろんなことから逃げてしまうのです。
過保護に育ってしまうと、死へのリスクが敏感になってしまい何もできなくなってしまい本末転倒です。
死は思っているよりも身近な存在です。
自ら死に突っ込むこともないでしょうが、死は仕方のないものです。



時間のプレゼントは今この瞬間に途絶える可能性もあります。
長生きするためだけに生きている人なんかいないはずですが、
いやもしかしたらプログラミングされているのかもしれませんが、
どうせ死ぬのは変わらないわけですから、やりたいことはやるしかないです。



将来を考えるのも大事です。
貯蓄もしたほうがいいかもしれませんが、死後の世界ではお金は使えないでしょう。
老後の心配をしないわけではありません。
貧相なお年寄りを見るのほど、辛いものはありません。
ただし人には「おいしいところ全部取り」はできないのです。



何かを捨てて、何かを得る。
その何かが何でもいいんだけど、生きているうちしか真剣になれない。
笑えるも泣けるのも生きているときだけ。