IN TOKYO

首都高を走る、狭く感じる日本車の助手席から見る、当たり前が当たり前でなくなったビル群。
10時間の時差で、頭がボーとしているが確かに感じる違和感。
初めての地に踏み入れたような感覚。
僕は東京に戻ってきた。




今、自宅のリビングで音楽を聴きながら、頭をかき回している。
バックパックから洗濯物を出したが、それ以外はそのままだ。
今すぐにでも出れる。
南米から帰ってきても、そんな状態にしておきたい。
それは実質的にも、心構えとしても。
さて、振り返ろう。





10月27日

空港にて
僕はLAの空港にいる。
この旅で1ヶ月くらい一緒だったヒロちゃん、そういえば東南アジアで一緒だったヒロちゃんは元気かな?と世界一周を始めたばかりの目のキリッとした、会ったときよりもだいぶ肩の力が抜けたリョウにバス停で見送られたとき、帰るんだという実感はわかなかった。
空港について、手荷物検査を何度もやり直しさせられて黒人女性係員とやりあっている時も、実感がわかなかった。
ロビーでPCを開いて、日本でのスケジュールに頭を悩ませている時も実感がわかなかったが、
ベガス行きの飛行機に乗ろうとしている日本人ツアー客が、なにもできなくて「恥」を感じながらオタオタしているのを、白人達が白い顔を一層白くして冷めた顔をして眺めているのを見たときに、ああ僕はこの国に帰るのだと実感した。
頭を上げると、3分の1くらいが日本人になっていて、嬉しくなると思ったがなぜか落ち込んだ。
ズボンやジャージで飛行機に乗り込む、中国人みたいな女性。
韓国人の、頑張っているけどイタいダサさと見分けのつかない若者。
日本語のアナウンスが流れる。
日本人をバカにしているのか?


日本人を下になんて思っていないけど、グローバルの視点ではダサいだけだ。
ダサくても、金はある。
ダサいと気付いていなければ、問題ない。
センスだけではない、立ち振る舞いや恥や自立。
そんなのなくても経済は発展するし、日本にいれば気付かない。


カウンターの前に、出国の1時間前から発生した長蛇の列に並ぶくらいなら、帰りたくないと思った。
窓にはめ込まれたようなカリフォルニアの空が、今日はむなしい。
日本に帰ったら、僕の身体はどう反応するのだろう?
日本で、自由を勝ち取ることはできるだろうか?
時計を何度見るのだろう?
携帯を握り締めるようになるのか?
日本を脱出したいと思うのか?
肩の力が入ってしまうのか?
生きているのか?
それでも僕は日本人だ。





機内にて
「コインロッカーズベイビー」を読んだ。
オランダ人男性のようなキャビンアテンダントが、ディナーを運ぶ。
隣に座る、マニラに行くであろうフィリピーナの女の子は、上手に英語を話す。
今は食事中だが、胃の調子を確認するために少し食べて時間をおく。
ゆっくりと時間をかけ、よく噛んで食べる。
機内のゆれに、胃が反応する。デリケートなやつだ。
ipodから聞こえる音楽は、もうビーチにいたときのようにクリアには聞こえない。
ただの音になってしまった。
どんどん気分が沈んでいく。
読書と旅は客観視できるという点で、似ている。
人事としてみれるので、多くのことに気付く。



フライトから8時間経過。
この狭いシートに座っていると、走り出したくなる。
パワーを使い切ったと思っていた身体は、もうウズウズしている。
昨日、旅の前半の締めくくりとして、限界まで走ってみた。
思ったよりも早く走れた。
歳を重ねると、体力が落ちるという。
そうではなく、デリケートになるだけだ。
自分の身体を知ることができる今を、僕は嫌いじゃない。
おじさんとよばれる歳になっているが、僕は自分をそうは呼ばない。
なんでも自分が認めたときに、そうなる。
「5分後の世界」を読んだ。
2つの小説に答えはない。
問題提議だけだ。こういう角度もあるということを教えてくれる。





フライトから12時間。
成田に着く。
税関の人も、入国検査の人も横柄じゃないのは日本だけかも。
両親と再会する。
なんだか小さくなったと思ったのは、僕の身体が大きくなったのと、でかい外人に囲まれていたからだろう。
家で、コロッケを食べた。コロッケを食べた。コロッケを!







結婚式
日本に一時帰国した理由の1つは、結婚式に出るため。
そして、ジャパン(チュルドレン)との再会。
時差ボケがひどくて、本調子じゃなかったが、しっかり楽しんだ。
なんにせよ、時間が足りない。
みなと、もっともっともっともっとゆっくりじっくり話したい。
それができないのが悲しい。