ピクニックという響き

過去への振り返りが多い一日だった。
仕事で見ても、半期の締めが終わり、過去の分析から今期の方向性を考えて方針や予算を作っていた。テーマはどうやったら楽しめるか。どんなに立派な道筋や戦略を立てても、つまらなかったり、苦痛なだけでは良い時間の使い方ではない。残り何年生きれるかわからないが、40年としても半期は人生の80分の1をしめる。1,25%にあたるが、生きるという欲を使い果たすには1%のマイナスがあっては良くない。
今の自分は過去の自分が作ったものであり、将来の自分は今日(今日以降の毎日)の自分が作るものであるから、今を変えることはどう転んでも出来ない。変えれるのは未来だけなので、過去にどうだったか、あるいは今どうなのかよりも、今をどう生きて未来をどうするかを真剣に考えるべきである。
かなり分かりづらい内容になってきたので、この話は止めておいて、今日はプライベートでも過去を振り返ることが多かった。兄からピクニックの誘いがあったが、ピクニックという言葉自体、若竹時代そのものであり、その時だけの言葉であり、その言葉によって過去を振り返る。また、親とコンポを買いにいって繋いだ後、幼少時代のテープを聞いた。その過去の瞬間を思い出すことは出来ないが、別件で思い出す事柄はある。
今の自分があるのは過去に大事にしてくれた人達のお陰であり、自分自身がその結晶である。だからもっと輝いていくことが、自分の使命だと思う。

・未来は明るいと信じる
・そのために今は頑張る
・未来は変えられる