インドネシアと自分

チーム
人が集まったら掛け算にならないと意味ないよね。
ただのトップダウンで抑え込みなら、それでもいいかもしれない。



よくないのは、下が何も言ってこないことを理由にすること。
何も言わせない環境を作っている可能性もある。



リーダーが殿のようになってはいけない。
どうして権力に腰をかけるだけで人は勘違いしてしまうのだろう。



昨日、学生たちの会合に参加させてもらった。
この年代はフラット化されている。
そっちの時代であることを無意識に感じ取っているんだろう。



10代の頃、先輩を目の前にして朝まで直立不動しているときから違和感があった。
先輩の姿が目に見えなくなるまで頭を下げているのがバカバカしかった。
力で押し付ける時代はとうに過ぎている。
しかも力の定義が変わっている。



ただし本物の定義は変わっていない。





インドネシアと自分
日本の戦士たちがインドネシアの地で戦っている。
僕はそういうのを捨てて、この地にいることを忘れてはならない。
楽するために日本にいるのではない。



外国を捨ててまで、ここにいることを選んだ理由。
それは自らの船を出港させること。
もう始まっているんだ。
時間・金・人、すべてを見直そう。

もし僕が今、大学生だったら

組み合わせ
自分では難しいと思っていたことを、他の人が簡単にやってみせる。
と同時に他の人が難しいと思っていることを、自分は簡単にできる。
幼少期から無意識のうちに気づいて、より得意な分野を伸ばしてく。
そうやって個性が生まれるのだろう。




そして分業と専門化が高度な経済を形成していく。
いかに自分の手を煩わさずにするか。
水を汲みに行く必要もなくなったので、その時間を利用して読書をする。



分業と専門化された個や集合体を、組み合わせるのが仕組み。
これからは組み合わせないと闘っていけない時代になってきている。
亀田の柿の種と明治のチョコレートがコラボを組んだように。



そう、常識を破壊して固体化を防ぐんだ。
そして専門性を高めるんだ。
料理が中途半端に上手なだけじゃ武器にならないけど、
寿司が握れるくらいになれば武器になる。



中途半端に何でもできるのが、一番ダメ。
中間管理職って要るのかな?
課長とか部長とかとにかく肩書きが多すぎる。
決定権者がいない会議なんか必要ない。
会議は手段なのに目的になっている。



すべてにおいて。
手段はいつの間にか目的になってしまう。
宇宙の視点。





僕が今、大学生だったら
そもそも大学生のうちから就職活動する慣習が間違っている。
企業が青田買いしているからだろうけど、アメリカ式にするべき。
学生のうちは遊ぶという大事な仕事がある。



より若い人材をとろうとするロリコン制度はよくない。
100社周るってアホ臭い。当の本人たちはシリアスだろうけど。
もちろん否定はしない。



ただ僕なら選ばれるより選ぶ側に立ちたい。
そしてニッチを選ぶだろう。
帝国データでニッチな業界でシェアを持つ中小企業の財務と今後を把握すること。
まずはそこから。


でかい仕事がしたい、海外で働きたいなら大手よりも中小のほうがいい。
大手の9割の人たちは小さい仕事しかしていないし、大きな仕事だとしてもそれをしているのは個人ではなく会社だ。




赤字の会社は・・・。と思っていたら大間違い。
節税のために赤字にしている可能性もある。




周りと同じことをしていたら、絶対に周り同じ以上にはなれない。
そして興味も持たれない。
別に人は人だけどね。

昭和

きちんと比較すること
自分がやっていることだけを肯定しないこと。
自分がやってもないことを否定しないこと。



正当化にすぎない。
やってみないとわからないし、「あっち側」に行かないと「こっち側」は見えない。
だから「あっち」「こっち」の世界に身を置いてみる。
そして結局のところ、どっちの世界にもネガティブやポジティブがあることがわかる。



ベストなんて人それぞれ。
世界一美味しいと言われているスープをエジプトで飲んだが、
日本のカップ麺のほうが美味しかった。
そのときの僕の状態が日本を欲していたこともあるだろう。



今日食べた料理がベストだとしても、明日はベストではない可能性が高い。
それなのにどうして、自分を固定化してしまうのだろう。
自分だけならともかく、他人までを固定化しようとしちゃいけない。


水商売やっていたとき大先輩に言われた言葉で今でも耳に残っているフレーズがある。
それは「来るもの拒まず去るもの追わず」
そんなのよく聞くフレーズかもしれないが、当時の僕には衝撃だった。
ものは人だけではない。すべてのもの。



成功や失敗なんかない。
どうせ死ぬんだから、そんなのにこだわることはない。
外的要因で起こることのほうが生きていたら多い。



だったらせめて自分の意思で、ポジティブを少しでも掴みにいきたい。
むしろ掴みにいくことがポジティブなんだと思う。



そういうことで今日は眠ります。

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法
今月読んだ10冊の中でベストに輝いたのがこれ。


こういう常識をくつがえす内容の本は大好き。
まず最初に衝撃的な一言から。
「子供の成長に親は必要ない」
子供の性格の半分は遺伝によって、残りの半分は家庭的とは無関係な子供同士の
社会的な関係によって作られる。



市場は、いろんな知能を平等に扱うわけではない。
身体運動的知能や音楽的知能は、衆に抜きんでないと誰も評価してくれない。
対して言語的知能や倫理数学的知能は、ちょっと優れれているだけで高く評価される。



IT化とグローバル化によって単純労働は安い賃金の地域に流れていく。
自由貿易は世界を幸福にするが、日本を幸福にするのかな〜。なんて思ってみたり。



日本のサラリーマンの人的資本は入社当時で1億を超える。
人的資本とは生涯の収入。
一流企業に入社できれば、20代の若者でも数億円の人的資本を持つことになる。
こんな大金、ほかの手段ではとうてい手に入らないから、彼らにとって経済合理的
な選択肢は、なにがあっても会社にしがみつこと。
実際ほとんどのサラリーマンが合理的行動をしている。
しかし、日本的雇用が崩壊してしまった今では使えない。


現代は・・・
人の働く価値は、「学歴」「資格」「経験」の3つで評価できる。


差別とは本人の努力ではどうしようもないこと(個人の属性)でひとを評価すること。
この原則はグローバルスタンダード。
アメリカ人が日本の履歴書を見ていちばんびっくりするのが、生年月日を書かせることと
顔写真を貼らせること。生年月日欄は「年齢で差別します」と宣言しているし、
顔写真は人種がひと目でわかる。実際に顔基準もあるような・・・。



公正な評価基準は世の中にたった一つしかない。それが能力。
外資系の履歴書には「学歴」「資格」「経験」の3つだけ。
学歴も資格も経験も「差別」として否定しまうと、いったい何を基準にひとを評価して
いいのかわからなくなってしまう。



能力主義は差別のない平等な社会を築くための基本インフラ。




グローバルな能力主義の世界では、夢をあきらめてしまえば、マックジョブ(合理化)
の退屈な毎日が待っているだけだ。



嫉妬のない男
嫉妬しない男とは、誰の子供であっても一所懸命育てる。
嫉妬とは、間違って自分の子供ではない子供を育てることを防ぐためにある。
嫉妬のない男の遺伝子は絶滅する。



男にとって最大の問題は、生まれてくるのが自分の子供かどうかを知る術がないこと。
あらゆる人類社会に処女が貴重なのは、当然である。
だからこそ女子割礼があり、ベールをかぶり夫以外の男に性的魅力を感じさせないよう文化的に強制してきた。



オスがメスの性的関係に嫉妬するのは、血のつながらない子どもを育てるという
遺伝上の被害を防ぐため。それに対してメスは、オスのほかのメスとの精神的な
関係に嫉妬する。メスの最適戦略は、自分の子どもを養う保障をオスから獲得すること。




ひとは肉食獣の餌だった
恐怖のない草食動物は肉食動物の餌食になるので生き残らない。
ひとは核戦争や日本国破産などいつも未来の災厄におびえているが、
それは何億年もの進化の過程で最適化されたこころの必然。


いかなる状況でも適応できるために、臆病すぎてがえさを食べれずに餓死してしまうが捕食されづらいガゼルと、あまり不安を感じないので餌を旺盛に食べるが捕食されてしまう可能性が高いガゼルがいる。ガゼルも人間も同じ。



ヒトの感情のうち、恐怖や嫌悪は生得的なもの。
ヒトもサルも赤ん坊のときからヘビに強い恐怖を感じる。
なぜなら遺伝子に組み込まれているから。
それに対して怒りや悲しみは集団内部の関係から生じる感情で、
チンパンジーやヒトなど社会的な動物に特有のもの。



引き寄せの法則
子どもは自分と似た子どもに引き寄せられる。
人類の歴史のほとんどを占める狩猟採集時代では、親は生きていくことに必死で、
授乳の必要な赤ん坊以外、子どもの世話をすることはできなかった。
年上の子どもが年下の子どもの面倒を見て、ヒトは成長し社会性を獲得してきた。



チンパンジーは、別のチンパンジーの群れを襲ってオスと子どもを皆殺しにし、
子どもの肉は戦利品として食べてしまう。赤ん坊を生かしておくと、授乳している
メスが妊娠できないから。だからチンパンジーの赤ん坊は、母親以外のサルが近づくと
大声で泣き出して助けを求める。ヒトもおなじ。




ヒトはもちろん、チンパンジーなど集団で生活する動物はみな相手によって
実に巧みに態度を変える。
強い相手が攻撃の姿勢を見せれば、歯をむき出して服従の態度を示す(笑顔の原型)。
自分より格下と思えば、横柄な態度で威圧する。短気には近づかない。
気分がコロコロ変わる個体は集団にうまく適応できず、子孫を残すのに不利だから消える。



ぼくたちはただ、泣いている自分に気がついて、あとから悲しい理由を考える。




友だちは小・中・高などの同級生の間でしか生まれないきわめて特殊な人間関係。
友だちは世代ごとに切り分けられ、互いに交じり合うことがない。
友だちには排他性がある。



きわめて限定的な条件を満たしたひとにしか友だちになれない。
友だちになったとしても、それを維持するのは難しい。こんなにハードルが高いのだから、
友だちがいること自体が一つの奇跡。
僕たちが友情に感動するのは、そういうこと。




愛情空間と貨幣空間
愛情空間は小さな人間関係で、半径10mくらいで収まる。
人類は太古の昔から愛情空間のできごとばかり延々と語り続けてきた。
貨幣空間はお金を媒介して誰とでも繋がるから、原理的にその範囲は無限。
ところがこの広大さに比べて、ぼくたちの人生における貨幣空間の価値は小さい。
愛情空間と貨幣空間は、大きさと価値が逆転している。



愛情空間に高い価値を与えるのは、そうするよう進化的に最適化されているから。
霊長類はもちろん、魚や鳥だって自分の子どもだけ特別扱い、ほかの子を無視する。
困っているひとを放置して家族の幸福を優先しても、誰にも文句は言われない。



同様に友情関係が大事なのも、人間が社会的動物だから。
狩猟採集の時代、過酷な自然環境のなかで人類の祖先は群れを作って生きてきた。
群れから追放されることは、死を意味した。ヒトは、たった一人では生きていけない。
ぼくたちは、仲間外れにされることに本能的な恐怖心を持つのもそのため。



それに対して貨幣空間は1万年と少しの歴史しかない。
ここに、ひとびとが貨幣空間にきわめてわずかの価値しか認めない理由がある。
ぼくたちは進化の歴史の重さによって、貨幣を介するつながりの重要性を正しく理解できていない。石器時代の人類には、愛と大事なものなんかはなかった。
遺伝子のプログラムはそう簡単に変わらないから、現代で生きる僕たちも
当然のことながら愛と友情のしがらみの中で生きていくしかない。
わずか100年かそこらで、世の中から愛がなくなるなんてことはない。




グローバルな市場空間では、お金持ちは誰とでも積極的に付き合いビジネスを拡大しようとする。それに対して貧乏人は狭いムラ社会から出ようとせず、せっかくのビジネスチャンスを逃してしまう。
格差社会の底辺にいるのは、社会の犠牲者というよりは、貨幣空間(信頼社会)のルールに適応できないひとたちかもしれない。




面白いことに、困ったときにほんとうに役に立つのは強い絆のコネではなく、
弱い絆の紹介なのだ。
弱い絆の紹介は失敗しても責任を取る必要はない。成功すれば貸しが作れる。
貨幣空間では、ひととひとをつなぐことによって、みんなが得する。
貨幣空間の成功者は、ひととひとを繋ぐことに喜びを見出している。
優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表に資産を加えることができるから。



ぼくたちは人類史上初めて「友だちのいない世界」が出現した。
ぼくたちは愛情空間がダイレクトに貨幣空間(市場)と向かい合う新しい世界に生きている。




年越し派遣村の衝撃は、彼らには迎えてくれる家族も支えてくれる友だちもいないこと。




洗脳の三段階
分離・移行・統合
分離とは相手を日常生活から完全に隔離すること。
移行では、自意識や自尊心を破壊し、セルフコントロールを失わせて精神的に不安定な状態に誘導すること。
統合とは、宙ぶらりんとなった自己を正しい場所に着地させること。



あらゆる生き物にとって、ほかの生き物は危険であると同時に、生きる糧でもある。
脳にとって重要な機能の一つは、それが生物であるか否かを瞬時に判断すること。
複雑な世界を倫理では理解できたとしても、直感的に納得することはできない。
あらゆる人類社会に神が普遍的なのは、霊や死後の世界が実在するからではなく、
ヒトの脳が神を生みだすように配線されているから。



なにかをしてもらったらお返しをしなくてはいけない。
ヒトから親切にしてもらってお返しをしないと、生理的に不快になる。
親切をしたのにお返しがないと、もっと不快になる。



返報性以外の典型的な影響力の武器
権威:ひとが肩書にこだわるのは、その効果をよくしっているから
希少性:トキのように希少なものには価値があると思いこんでしまう。
好意:親しい人の誘いを断ることはできない。営業の極意はいかに顧客に好意を持たせるか。
社会的証明:みんながやっていることは無条件に従う
勝者の呪い:ひとの欲望が最高潮に達するのは、他人と競争しているとき
コミットメントと一貫性:一度決めたことは取り消せない オウム




ヒトはみな自分が特別だと思っている。だから騙される。




進化論では、生存に有利な形質をもった個体がより多くの子孫を残す。
相手の内面を解読する能力が生殖の機会を確保する条件になっている。
相手の気持ちを映す鏡を自分の中に持つことがが、こころの機能。
こころというのは、相手の気持ちを知るためのシュミレーション装置。



ぼくたちは相手の目にとくに引きつけられる。
捕食動物は、獲物を襲う前にまず相手を見る。この視線に気づかないと食べられる。
異性からのものであれば、生殖のチャンスを教えてくれる。



サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識のうちに支配したり従ったりする強力なちからが働いている。



あらゆる生物は、遺伝子を後世に伝えるように最適化されている。



僕たちは幸福になるために生きているけど、幸福になるようにデザインされているわけではない。




豊かな社会ではお金より評判のほうがずっと魅力的になる。



ムラ社会的な日本企業では、常に周りの目を気にしながら曖昧な基準で競争し、
大きな成果をあげても金銭的な報酬で報われることはない。
会社を辞めると再就職の道は閉ざされているから、過酷なノルマと重圧に
ひたすら耐えるしかない。社畜化は日本的経営にもともと組み込まれたメカニズム。



世間から隔離された伽藍(会社)のなかで行われる日本式ゲームでは、
せっかくの評判も外の世界へは広がっていかない。



高度化された知識社会のスペシャリストは、市場で高い評価を獲得することによって
報酬を得るゲームをしている。彼らが夢中になるのは楽しいからだ。
これからさまざまな分野で評判獲得ゲームがグローバル化される。
仕事はプロジェクト単位となり、目標をクリアすればチームは解散するから、
ひとつの場所に何十年も勤めるなどということは想像すらできない。
どこまでも広がるバザールへ向かおう。



幸福になるためには快楽だけでは足りない。



能力があろうとなかろうが、誰でも好きなことで評判を獲得できることはできる。
だとしたら必要なのは、その評判を収入につなげるちょっとした工夫。



無限なロングテールを持つ市場では、いずれ誰もがショートヘッドになる。
生物は自分に適したニッチ(生態的地位)を見つけることで、過酷な進化の歴史を生き延びてきた。



ロングテール時代のビジネスの主役は、大企業ではなくフリーエージェントとマイクロ企業。

内向き

まさかの内向き
組織や会社の存在理由。
それは顧客のため。
顧客の役に立つために専門性を高めていく。



それなのに、顧客よりも会社自身を優先させるとしたら。
それは違う。
組織が大きくなろうと、そこだけは譲れない。



ただ何となくキレイごとではすまないのかな?と理解もしてみる。
だからといって自分のスタンスは変えるつもりはない。
だから自分の立つ世界を変える日が、」また一歩近づいた。




嫌いワード
子供なのかもしれないけど、「そうは言っても・・・・」というワードが大嫌い。
その時点で諦めることであり、勝負していない。




欲のない世界
なぜ自分の身を六本木や新宿に置こうとしているのか。
それが最近わかった。
こういう街は欲求がある。
欲求のない世界が、日本では広がり始めている。
欲求のない人も広がり始めている。



チャンス到来。





未来ベスト
時間が経てばたつほど関係性がいいものになっていっている。
なんだか嬉しい。
常に今日が今までで一番楽しい関係になる。
だから明日が来るのが楽しみで眠りにつく。



そうはいっても危機感だらけだけど。





刺激を買う
出会いのためにはお金を積む。
出会い系の話しではないですけどね。
人だけではない出会い。
出会いなければ刺激がない。
刺激ないと生きている気がしない。
今のところね。



だから、常に違うことがしたい。

素直に

皆が書いてくれたレビューを見て泣いちゃった。
酔ってるからかな?って言い訳します。


少しでも多くの人が笑ってくれたのであれば、それでいいや。
半年うなっていた甲斐がある。
誰が書いたかわかれば花束持って伺うのに・・・。



とにかくサンクス。グラシアス。コープンカッ。感謝感激雨霰。